不機嫌という武器

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ベランダ

不機嫌というコミュニケーション手法は時として武器になる。

相手に、自分が不機嫌ということをわからせることにより、ある程度自分の思い通りに動かすことができたりする。

「察しろよ、だから?、だーかーらー、はあ。」などなど、話しかけるなオーラをだしたり、過剰な敬語や無視を使って怒っているアピールをしたり。

恐怖で相手をコントロールしようという手段を少しオブラートに包んだのが不機嫌という手法だ。

 

この手法はマイナスな感情なため、あまり好まれるものではないはず。にも関わらず多用されている気がする。

逆に、いつでも笑みを、とニコニコ笑顔でいるほうが好まれるはず。にも関わらず多用すると気持ち悪がられてしまう気がする。

 

なぜか。

普段は厳しい人がふと優しさをみせると根は優しい人と評価されたり、普段は優しいけど本当に頭にきてキレてしまうと、危ない人と評価されたりするためかもしれない。ずーっとニコニコ笑顔を継続するのは本当に大変だ。

 

という言い訳を考えた上で、正直にいうと、最近の自分は些細なことで、不機嫌な状態に遷移する回数が増えてしまったのだ。

端的に言うと、自分が偉そうにしていたり、勘違いしてしまっているという感じだろうか。

読書を邪魔されたり、睡眠時間を削られたり、予定を崩されたり、自分が断らないのを前提に頼み事をしてきたり。仕事でもプライベートでもそんなことをされるとときどき不機嫌モードになる。今まではそんなことをほとんど思わなかったはずだけど、「力関係」とか「損得勘定」とかそんな言葉を意識してしまってからは、不機嫌モードへのスイッチが入りやすくなってしまっている。

そして最悪なことに、不機嫌という武器を振りかざす相手が、家族だったりする。決して傷つけたくない相手なのに。

 

不機嫌を押さえ込みたいところではあるけど、感情をコントロールするのは難しいことだし、正直な気持ちだって大切らしい。

でも相手を傷つけたり、服従させたりするのが目的じゃないのなら、安易な不機嫌という手法に頼らないほうがいいに決まっている。具体的に代替手段があるわけじゃないけど、気持ちを言葉で吐き出す、とかしてみてもいいじゃないかと思う。

 

ちなみに、不機嫌という武器はとても高度なコミュニケーションであるため、喧嘩している相手には使えない。察してくれ、といったって、相手は喧嘩しているんだからそもそも理解する気が全くないのだ。相手も不機嫌で対抗してくるに違いない。そうなると平行線だ。

今回は戒めのためのエントリーでした。

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