勇気の話

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ぶどう

高校から大学にかけて、自分はスポーツできそうという見た目だったようです。

実際は、球技はまったくといってほどダメで、身体が堅くロボットみたいな動きしかできずに、体育の時間は常に辛い思いをしてきたくらい運動音痴でした。

ただ、その見た目のせいで、クラス対抗球技大会などに人数合わせで参加させられ、スポーツできそうな雰囲気のくせに役に立たずという、期待させたぶんなんか辛い立場になったりもして、一層球技という機会を避けるようになっていました。

でも球技以外の、例えばあまりテクニックを必要としないシンプルなマラソンなどは、結構上位の成績に食い込むことができたおかげで、運動自体はそこまで嫌いにはなりませんでした。体力がものをいうスポーツについては、毎日の往復1時間半の自転車通勤で築いた体力で、なんとかなったんだと思う。

とにかく、球技を避け、自転車やマラソンばかりを細く長く続けてきましたが、みじめな思いをしないのなら、下手なりに球技は楽しめるんじゃな いかと思ったりもしていた。

例えば自分がミスしたせいでゲームに負けたとかを気にするのは自意識過剰なんじゃないかと思い始めてきました。勝っても負けても身体を動かして楽しむことを目的としている人たちと一緒ならば、きっともっと楽しめるはず。

マラソンだけでも満足はしているのですが、球技には憧れがあります。というのもマラソンや自転車だと、すごく楽しい瞬間っていうのがあまりないんです。

もちろん達成感があったりとか、「おれ今風になっている!」とか楽しいことは楽しいんだけど、基本1人ばかりなので、球技のようなゲームに熱中し ている瞬間というのがあんまり感じられないのが原因かもしれません。基本的にマラソンなんかはぜーぜー言いながら、「ゴールまだかなー」「ゴールしたらバーガーキング食べてやろうかなー」とか考えているんだけど、球技だと「今のシュート最高」とかシーソーゲーム的な緊迫感とかあって、結構忙しく考えている瞬間というが、楽しそうな気がします。

でも歳を重ねてしまうと、新しいスポーツに手を出すのはかなりの勇気が必要です。

大人になってからバスケやサッカーがしてみたいと思ったところで、自分の行動範囲に近い場所でそういったサークルがあるかどうか微妙だし、 あっても参加している人は経験者もしくは根っからのスポーツ万能タイプばかりがほとんどだろう。

ならば、自分で初心者仲間を集めてサークルを立ち上げるのもひとつの方法だけど、自分が発起人だと余計にスポーツできそうと思われるのも避けたいし、そもそも自分に人を集めることができるのかと、なかなかにハードルが高そうだ。

でもできないわけじゃない。必要なのは勇気。でも勇気こそが大人になると無くなってしまうものだよね。

勇気と言っているけど、「新しいスポーツをする楽しさ」と「昔と同じ恥をかくかもしれない恐怖」を比較しているだけなのですが。

というわけで今日もマラソンをするわけです。(面倒なことを考えないでもすむ思考停止の結論)

ちなみに、どんな見た目がスポーツできそうと思われるのかはわからないけど、自分の学生時代を振り返ってみると、適度に痩せてはいるけど不健康そうには見えない、というのがポイントだろうか。

あとは、一度サッカー大会でたまたま自分のもとに転がってきたボールをはやく誰かにパスしてしまおうと、センタリングっぽいのをなんとか蹴ることができたんだけど、それがなぜかゴールに直接入ってしまい、変な印象を残してしまったとか。

社会人になって、適度に太ってきて、不健康になってきた今こそが誤解されないチャンスなのかもしれない。

ぶどう

※写真は今回のエントリーの内容とはまったく関係のない新座の小泉ぶどう園にて撮った物です。

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