短かった半年
最後の瞬間はあっという間でした。
父が天国にいって、もうすでに1ヶ月がすぎました。
病院にいけばまだベットの上に父がしわくちゃの笑顔で出迎えてくれるような気がしてなりません。さらには実家に帰ればほうれん草をつくっているお父さんに会えるのでは、と非現実的なことを考えたりします。しかし実際にはお母さんは実家で一人になってしまいました。
僕たちもお母さんも病気とわかってからはいつかくると覚悟していたとはいえ、やっぱり心の準備は万端というわけにはいきませんでした。お父さんはまだまだ若かったと思うし、その分病気の進行も早かったのから、僕らの心のスピードが追いつかなかったのかもしれません。
お父さんはまじめでやさしい人でした。自慢の父、とまではいかないけど、とにかく一途な部分は、本当に尊敬していました。字なんか小学校の僕より下手だったのに、一緒に通った書道教室で師範になるくらい一生懸命続けていました。ただまじめすぎて、そして働きすぎて病気になってしまったのかもと思っています。専業農家で人並みの生活を送るというのは本当に大変で体力が必要なのです。もう少し農業を習って手伝っていればと悔やまれます。そして教え方が下手とかへりくつをつけないで、書道もお父さんから習っておけばよかったです。お父さんが残した筆がまだ残っているので、いまからでも少しずつ書道をやっていくつもりですが。
去年の父の日に、携帯電話をプレゼントしました。
まだ元気だった頃、電話は使いこなせていたようですが、メールは全然使えていませんでした。一番始めは
タイトル:こんばんは
本文:日曜に枝豆植えにきて
というメールを僕が教えながらも1時間くらいかけて作成し、僕に送ってきました。そしてしばらくはプレゼントしっぱなしで、実家にあまり帰ることもなかったので、教える機会もなかったのですが、8月の終わりにお父さんから2回目のメールがきました。
タイトル:仕事
本文:会社が休みの日にはたけ仕事できるかな少しからだが具合が悪いの
このメールから世界があっという間に変わりました。お母さんの言葉を借りるなら、なにげない景色がすべて変わってしまった。短いながらも、お母さんに聞いたり説明書を読んで、かなりの時間をかけてメールをつくったのでしょう。僕が働いているときには、電話するのは悪いと思って。次のメールからはもう病院のベットで作成されたものでした。
タイトル:ありがとう
本文:大丈夫だから心配しないで。
入院する前の日、お父さんはお母さんに苦労をかけてすまん、いままでありがとうと、お礼をいっていったそうです。そして僕たち兄弟が、生まれてきて本当に幸せだった、自分の子でよかったと、も。病院が大嫌いで、怪我などに人一倍恐がりなお父さんが、病院ではずっと家族の心配ばかりしていました。(他の患者や看護士さんには僕たち、ではなく、僕たちの嫁の自慢ばかりしていたようですが)お見舞いにいくと、誰でもとびっきりの笑顔で出迎えてくれました。本当にやさしいお父さんでした。でも今年に入って、どんどん体も笑顔も小さくなっていってしました。
お父さんに元気になってほしくてというのもあって、7月に赤ちゃんが生まれます。決して間に合わなかったとは言わないです。お父さんは今でも天国から見守ってくれているからね。