SNS疲れ

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ムーミン

その男は、SNSを活用できていない。

インターネット初期の時代から、なんとなく流行っているWEBサービスには手を出しているので、死蔵アカウントだけが増えて続けている。

男にはとても苦手なことがある。

脊髄反射だ。

日々凄い勢いで流れてくるニュースに対して、すぐに感想や自分の意見をコメントをするのが苦手だ。

いちいち色々と考えてしまうのだ。自分の今までの言動と矛盾していないか、違う視点で見たら善悪が逆転してしまうのではないか、誰かの手の平で踊らされてないのか。

おそらくは男には明確な判断基準がないから、どうしても自分のアウトプットに自信がもてないのだ。いや、アウトプットを通して自分が非難されるのが怖いのだ。

男には、言いたいことが確かにあった。

しかし、非難されることを過剰に恐れる男は、別の視点に立った場合に誰を傷付やしないか、そしてそれが原因で自分が傷つきやしないかと文章を時間をかけて推敲する。いや推敲もせず、そこまでのリスクを負うくらいならばと、アウトプットをしないという選択になってしまう。

たとえ、鋭い意見を書き込んだとしても、それが何になるというのだろう。誰かが承認してくれるのか、はたまたお金に繋がるのか。

そうして男の言いたいことは、初めからなかったことになっていく。

いつの間にか男のアカウントには、タイミングを逸した当たり障りのない一般的な意見が並び、そんな毒にも薬にもならない書き込みについて反応を得られるわけがなく、次第に一般的な意見すらも更新されなくなるのであった。

一方、他人のSNSは結構気になったりもする。

この人、なんか独特の視点を持っているなという人をフォローし、その言動をチェックして、自分と見比べる。

たくさん更新している人やSNSを通じて他人とコミュニケーションを取っている人を見て、とても羨ましいと思う。

そういう人を見ていると、当たり前のこととは理解しているが、他人は自分にはないものを持っていると思ってしまい余計に足がすくんでしまう。凄い人もいるもんだ、自分にはできないなと思い込んでしまう。

男はアカウントという単位でしか判断できない。良い書き込みが続くとそのアカウント(の向こうにいる人)は素晴らしい(面白い/興味ある)人だと思ってフォローしている。そのアカウントがどんな基準で書き込むものと書き込まないものを判断しているかは知らない。

人間であれば、全てが完璧なわけがない。良い部分も悪い部分も、得意分野も不得意分野も、あるはずだ。

ましてや、そのツイートの作成時間は、知りようがない。

たった140文字にどのくらいの思いを込めているのか。書いては消してを繰り返したような揺れ動いた心が行間が含まれているのか。脊髄反射のようなフィルターのない素の自分をさらけ出しているのか。

すごく考えられた書き込みも、ただの落書きも、SNSには混ざる。

それぞれいろんなアカウントがあり、それぞれの楽しみかたがある。それは男にもわかっている。

フォロワーがたくさんいるアカウントはなぜか洗練されたツイートが並び、キラキラ輝いてみえる。きっとフォロワーが増えるにつれてそのアカウントも成長したのだろう。そんな世界に行けなかった自分が少し残念に思う。

男がSNSに書き込む時は、自分が設定したはずのそのアカウントに、自分を合わせる必要がある。男の場合は炎上なぞせず他人を傷つけないアカウントだ。男は自分を規制するその行為に少し疲れてしまったようだ。

疲れてしまったので書き込みは少なくなってしまったが、読むことは疲れないので続けている。それが男のSNSの楽しみかただ。

しかし、これでは、そして男の性格では、男が羨ましがっている領域へ突き抜けることはできないのだ。

男は、「仕事や趣味でも同じだな、目標と手段が矛盾している」と悟っている。

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