運勢

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航空公園
仕事で占い師の人とやりとりする機会があったんだけど、自分はなかなかそういう人の言葉を信じる事ができない。へぇとは思うけど心の底では、かたくなに、初対面に近い人に何十年も付き合っている自分自身のことがわかってたまるかと思っている。
でも最近、肩の力を抜く事が大事なんだと気付いた。よい事を言われたならうれしくなるその気持ちを味わってもいいじゃん、と。(わるい事を言われたなら、叱られる事の無くなってしまった自分への軽い戒めの言葉として受けとってみるとか)
ちなみに、一緒に仕事をした占い師の人はごく普通の人でした。実際に占ってもらったりもしたけど、あ、今、適当に言葉を見繕ってしゃべったなとかわかっちゃうレベル。でも言われた事の8割は当たっていたと思う。このあたりは経験からなる話術なんだろうと思ってしまうけど。
雑談しているなかで、生年月日とか名前とかからくる運勢もあるんだけど、お客さんのインスピレーションから生まれる運勢もあったりするらしいので、マニュアルどおりでなんかいかないとの言があった。(自分は占いに関して素人なので、占い師の意図した通りに解釈できていないかも知れないですが)
そういえば自分の友人でもインスピレーションで詩をつくる路上詩人がいて、名前を聞くくらいで、その人が欲しいだろう言葉を感じ取って書いてあげるんだとか。
インスピレーションっていうことは適当なんだろと思ってしまう汚れきった自分ではありますが、しかし彼らのインスピレーションを大切にする人間臭さに好感を持つようになった。自分のなかで、かたくなに、という姿勢は固執するとよろしくないなと気付いたし、適当な何かから生まれるものが全部が全部ガラクタではないことくらいは信じられる。
もう少し自分は占いにしろ何にしろ楽しむべきなんだと思うのだ。
その占い師によると今までは耐える時期だったけど、誕生日をすぎたあたりから、特に2011年は当たり年らしいので、これから絶好調の自分になる予定です。
最後に、娘の写真は急降下している写真と受け取ることもできるし、楽しんでいる写真にも受け取る事だってできます。そう、すべては捉え方次第だ。

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