君主について知らなくてもよいこと

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snow2

農民出身の自分としてはお金持ちの考え方というか帝王学にはまったく縁がない。

別に帝王学を知りたい学びたいとも思わかったのだけど、もしかしたら自分の性格は幼児教育の賜物、つまり平民によるものなのかと興味はあった。

自分にも子供でき、その教育に帝王学ってやつは必要なのかなということで、帝王学についてインターネットを検索してみたら、いつのまにかマキャベリの君主論に興味がすり替わっていた。

ということでてっとり早く読めそうな本、「よいこの君主論」を読んでみた。

5年3組の覇権争いをマキャベリの君主論になぞらえて解説していくというなかなか面白いストーリー仕立ての本。自分がタイトルを付けるとしたら「もし、5年3組を掌握したい男の子がマキャベリの君主論を読んだら」になるかと思います。ライトノベルを思わせる挿絵が要所要所に入ってくるところも笑えます。(本当に良書だと思っています)

内容については、興味があれば読んでいただくとして、印象に残った部分は美徳悪徳についての記述。原書の君主論でも君主の気質として触れられている部分だし、もともと興味をもった帝王学に通じる部分かなと思ったし。

美徳については、人間なのだから、すべてにおいて善行を行い続けるのは無理があるし、体制(派閥だったり仲良しグループだったり)を維持するという目的においては邪魔にさえなるものという考え。道徳的に良い事をしていれば、そのうちみんながついてくるというのは絵空事だということです。

悪評については、その程度において、甘んじて受け入れたり、さりげなくやり過ごしたりすべきとしている。要は、自分の統率力が脅かされるくらいの悪評が立たないのであれば、体制を維持するためには悪徳を行ってもよいということだ。誰に対してもいい顔をするのではなく、悪評を恐れずに自分の信じる道を行け、と。

この美徳悪徳の話には、もちろん前提があって、自分が君主として体制を維持することが何よりも優先度が高い場合だ。目的さえきちんと見定めているのであれば、納得ができる答えでもある。

けど、やっぱり自分には君主論はあわないなとも思った。

原書の君主論は読んでいないのでなんとも言えないが、本書については、そもそも5年3組を制圧してどんなメリットがあるのかが最後までわからなかった。制圧した後に何をやりたかったのだろうか。この本の主人公も制圧するためにはかなりの努力を要している。制圧のためとはいえ極悪非道な手段を用いるのだって結構な苦労もあったりもするだろう。だったらその努力を初めから制圧後にやりたかったことに注いでもよかったのではないだろうか。

希望的観測をすれば、”組織を制圧しないとできないこと”が少くなった時代になったということかもしれない。

とはいえ組織の中で活動している以上、リーダーシップという言葉からは逃れられないと思う。リーダーたるもの、という理想像は千差万別であり、逆に理想像が曖昧であるがために、リーダーは自分の理想像をそれとなしに押し付けてくる。リーダーはその時々において変わってくるが、チームメンバーはその理想像に振り回される。振り回れるのはいやだから自分がリーダーになりたくなる。リーダーになると今度は権力を維持するのはもちろんのこと拡大しようともする。そうなるとマキュベリがいた群雄割拠の時代に近いと言えば近いかもしれない。

まとめると、リーダーなり君主なり権力者なりが、体制を維持拡大するという目的だけで動いているのであれば、平民やメンバーはただの駒にすぎない。ただ、体制を維持拡大した後の目的があるのであればこの限りではないとも思える。

今回、帝王学を調べていて理解した点は、権力が欲しいとか制圧したいとか考えている人は普段からいろいろ考えて画策しているのかもしれないということです。…知らない方がよかった気もするけど。

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