モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語、を読んで
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購読しているブログのなかで何度か言及されている本で、興味をもった。何度も目にとまるというのはきっと気になっているという事。さっそく図書館で借りて読んでみた。
これがまた面白かった。
小学校の高学年向けということもあって、ストーリーが王道的に小気味よく進む。守り人シリーズもほぼ同じ理由で大好きなんだけど、お気に入りが児童文学ばかりだと自分の精神年齢が低いのかも寂しくなってもくる。一応、王道といいつつ、結構風刺もきいていて鋭く心に突き刺さる部分もあるんですよ。
ストーリーは読んでいただくとして、この本のテーマは時間。
読書感想文として、自分なりに時間について思ったことをまとめておく。
時間とは
時間の長さは人によって違う。
1時間、1分、1秒といったものは時間を一定の尺度として、説明したり比較したりするのは便利だけど、
人によって、1時間を長く感じたり、短く感じたりする。
同じ人だって場合によって、1時間を長く感じたり、短く感じたりもする。
心の持ちよう次第で時間の感じかたは違う。これが人によって時間の長さが違う部分である。
時間とは心そのものともいえよう。つまり、
- 時間に余裕があるときは心が豊かなとき
- 時間がないと言っているときは心がすさんでいるとき
物理的な話をすれば、命が続く限り時間は存在する。(時間の長さは人によって違う部分のひとつでもある)
でも時間を心と考えれば、心がある限り、時間は存在する、となる。
逆に言えば、命があっても、心なくしては、時間がなくなるのだ。
時間が大切なのは言うまでもない。それは、心が大事と置き換えられないだろうか。
時間が大切、という人のなかには、「1分1秒がもったいない」と置き換える人もいるだろう。 もちろん命の危険が迫った緊急の場合は「1分1秒が」ってなると思うけど、今の日本では真に緊急なことってあまりない。
心の豊かさも考慮し、真の目的をしっかり見つめなおしたうえで、目の前の1分1秒という余裕がないのかを考えたほうがいい。それでも駄目なら、その瞬間だけは集中すべきだけど、もう少し先の1分1秒という時間に余裕があることを確認しておこう。常に「1分1秒が」というのは確実に心を蝕んでいく。そうなったら時間を大切にしているようで、全く大事にあつかっていないことになる。
立ち止まって、自分のすみずみまで見つめ直したり、他人の言葉にじっくりと耳を傾けたり、そういった時間をも大事に扱う事が、豊かな心をつくり、結果、時間を大切するってことなんじゃないかと思う。
効率化について
仕事では効率をあげるため、工夫を凝らしたりする。効率を上げるためにシステム化をして、みんながある程度速く正確に同じように業務をこなせるように後押しをする。悪い事では決してないが、効率をあげることを目的にしてしまったらダメだ。本当に速さが求められているか、ロボットのような正確さが求められているか、画一化された対応を求められているのか、そして何よりそのシステム配下で自分は楽しいのかも少しは考えないといけない。
効率化の目的はだれかの幸せじゃないとダメだ。時間短縮されました、で終わると、心がすさんで終了だ。
時間は作るものだという人もいる。確かに言葉の通りだと思う。そのために効率化をするというのもわかる。
しかしそれは忙しそうにしている人に向かっていう台詞じゃない。忙しそうな人には、「なにか手伝える事はない?」と言葉をかけるのが正解。それが本当の時間の作り方だ。
最後に
今まで書いてきた時間についての思うところは、大人になってから、せかせかしすぎているなあ、時間に追われているなあと感じる事がしばしばあったため。いつの間にかに少しずつ灰色の男たちに、時間を取られていたんだなあ。同じ1時間でも子供の頃のほうが素敵に過ごせていたような気がしたので。
ああ時間がないと思っているときは心が豊かではないとき。ぜひ、普段通らないような遠回りの寄り道をして、時間を取り戻してください。