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柳瀬川

その男は運動が嫌いだった。

学生の頃の体育の授業が苦手だったからだ。

球技や体操などイメージ通りに身体を動かすことができずに、周りについて行けなくて、恥ずかしさのあまり余計に運動から遠ざかっていた。

それは悪循環を呼び、身体を動かすこと自体が嫌いになっていた。

ただ、強制的に参加させられる体育の授業の中で、持久走だけは人並みに走ることができた。

苦しさに耐えることだけは身体能力とは関係がないのかもしれない。あるいは走るという単純な動作であったからこそその男でもできたのかもしれない。

とにかくゼィゼィと身体は悲鳴をあげていたけれども、なんとか持久走だけは平均程度の成績を収めることができていた。

男にとってそれは努力が報われた、初めての経験でもあった。

持久走にしたって、何も初めから平均程度の成績だったわけではない。運動を避け、しかし成長期と称してカロリーを摂取した結果、丸々と肥えていた時は、持久走大会は後ろから数えて5位以内の成績をキープしていた。

それが部活でたくさん走らされたり、適切な食事量にしたり、多少遠い場所でも自転車などの人力の移動手段を用いたりと、辛くても身体に良いことを選択してきた。これが男が行なってきた努力だ。

いつの間にか、ビリから数えた方が早かった男の順位は、学年全体でちょうど真ん中らへんにまであがっていた。そして体型もスッキリとしてきた。頑張れば結果がついてくることが(苦しくても)とても楽しかった時期である。しかし、そこまで、であった。

持久力が上がってきたときに、それなりに運動する楽しさのようなものに気づき始めて、球技などにもチャレンジはしてみたものの、そちらはやっぱりさっぱり上達せずに恥ずかしい思いを追体験し、さらには勉学やゲームなどの学生の本分と言うべきタスクをこなしていくにつれ、いつの間にかまた運動から遠ざかっていた。

つまり、その男はそれ以上の努力をしなかったのである。いや、努力ができなかった、のかもしれない。

時は流れて、その男は、また運動がしたくなってきていた。徐々にたるんできた不健康な体が嫌だったからである。

努力すれば持久力だけは人並みに持っていると、過去の栄光とも言えない経験を基に、男はランニングを開始した。

久しぶりに走ったアスファルトの上はとても爽快であった。形から入るのが好きな男は、ランニングウェアからシューズ、サングラスを新品で揃え、それなりのスピードで走れている自分に半分酔っていた。しかし距離にして1kmを過ぎた頃から、満更でもない自分は綺麗に消え去っていた。

こんなにも苦しかったっけ、と思う。呼吸をするたびにおかしな音が腹の底から出てくる。軽快なステップを踏んでいたはずの両足は、いかにも重そうなドタバタと大きな音を立てている。身体が、苦しいと言うより、痛い。こんなに不恰好で恥ずかしい姿を誰にもみられたくない。

さらには走り終わってからも、いくつかの痛みが残り、さらには何日か経った後に新たな痛みも発生した。

ここでランニングをやめなかったことは、男の人生にとって最良の選択のひとつだったと思う。筋肉痛がなんとなく気にならなくなってきたタイミングで、男はまた、まだ新品のランニングシューズに足を入れた。

相変わらず、ゼィゼィと苦しいランニングではあったが、継続することでそれなりの達成感的なものを感じることもできた。少し体重が減ったのである。食事によってはすぐに元の体重に戻ってしまうくらいの変化であったが、数値として成果が見えてきたことにより、さらなる欲望、いや目標が芽生えてきた。この体型をキープしたい。

そうなると今度は、継続しないことに恐怖を覚えるようになってきた。男は週に1回はランニングをすることを決めていたが、それを必ず守るためにバッファとして週に2回以上は走っていた。

もはや、男は運動が嫌い、とは言えない領域にいた。新たに追加したランニングウォッチによると、いつものランニングコースを走り終えるタイムが順調に縮まっていた。むしろ身体を動かすことは楽しい、と思えた。

さて、男は社会人である。仕事で忙しい期間もあるし、面倒な事を避けて通る言い訳もたくさん用意できている。楽しいランニングも、たまたま体調不良と仕事のピークが重なったタイミングで、週に1回走れれば御の字というくらいモチベーションが下がってきた。

ここが踏ん張りどころだと男は痛感している。

学生の時はここで努力ができなかった。ランニングにおける本当にきついこととは、走っている最中の苦痛ではなく、走り始めるまで気持ちを持ち上げるところである。

走る時間を朝にしたり深夜にしたり、いろいろなランニンググッズを購入したりしたが、ランニングの頻度はなかなか増えなかった。ランニングウォッチの記録ももはや横ばいか低下傾向にあり、身体を動かす楽しさも忘れかけ、惰性でランニングを行なっている状態だ。

他人はどのようにモチベーションを保っているのであろうか。運動が嫌いではない連中とは、自分はやはり構造が違うのか。何気無しに開いたランニング専門雑誌には、マラソン大会の広告が賑わっていた。

近場の10kmロードレーズ大会にエントリーした。これは絶大な効果があった。タイムをあげるということには全くこだわりがなかったけど、大会を意識すると、足切りという時間制限によるタイムを意識しなければならないのはもちろんのこと、順位なるものが明確になる。ビリは嫌だ。また運動が嫌いになる。

男は参加する大会の昨年の記録データを参照し、自分の現在の記録を見比べ、だいたい真ん中あたりの順位を目標に定めた。ただ走るだけだったランニングは、スピードを意識してより辛いものへと変更され、ランニング後にはプロテインを摂取するようにした。それでも走る頻度は大会が近づくにして確実に増えていった。

男は、今回は、踏ん張ることができた。

大会と同じ10kmという距離を信号などで邪魔されないコースを開拓し、練習では、だいたい真ん中あたり順位の目標タイムである50分を切ったのである。走っている最中は地獄の苦しみではあったが、走り終わった後の爽快感は格別であった。

そして大会は、前日に発熱してしまい、棄権した。体力が付いてきたので、風邪をひきにくい体になってきたかもと油断していた。不甲斐ない自分を律するためにも男はまた大会にエントリーするつもりである。

怖いのは、DNSというものが存在すると知ってしまった自分である。エントリーはしたけど、走らない。そんなことは許されない筈だ。

また、大会を走るという行為に慣れてきってしまい、そこにモチベーションを見出せなくなることも怖い。それまでに本当の意味で運動を好きになりたいと、男は切に願う。今はまだ、走り始めるために相当自分を鼓舞しなければならないのだ。

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