勘違いさせる力

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西武園

その男は、人生の不条理さを嘆く。

なので、自分以外は少しずるい方法を使っているから、人生がうまくいっているというストーリーを好む。

正直、自分の努力が報われない、とまでは思っていない。他人と比較して自分が努力をしているかと聞かれると自信がない。

しかし、ずるい人がずるい方法を使って、その人生を有利に進めていることに関しては腹が立つし、自分もバレない程度にそのずるい方法にあやかりたいともちょっぴり思う。

男は弱いのだ。

だから、ビジネス書でもワイドショーでもSNSでも政治でも、少しずるい方法を使ってのしあがろうとする人や方法が紹介されると、嫌悪感を抱きつつもついつい見入ってしまうのだ。

「自分以外はずるい方法を使っているのから、うまくいっているのだ」というのはたくさんの事例の蓄積により男の中では事実として認識されていた。

男は、それなりに経験もしてきたので、それだけじゃないことも理解はしている。そもそも「ずるい」というのが曖昧で、男にとっての基準(=モノサシ)によるものかもしれないし、コツコツと努力が報われた人だっているはずだ。

と、男は思っていた。それが錯覚を引き起こす危険な思考だということに気づかずに。

男は、騙されまいと色々と気を使っている方だと思う。認知バイアスというどうしようもない思考があることがわかっていても、自分だけは騙されないんじゃないかとどこかで思っている。

しかし思い返してみると仕事上の付き合いでもSNSでの付き合いでも、この人凄いなと思ったりすると、決して凄くはない当たり前の発言までもが深い意味があるのかなと思ったりしてしまう。それでも、「凄い人」という理由では、自分はその人を評価しないと信じている。自分だけは多面的に物事を判断していると勘違いしているのだ。

人は間違うし、男も間違う。完璧な人なんていない。

当たり前のことなのに、人間は錯覚を引き起こす。いつの間にか当たり前を忘れて、勝手に、凄い人、を作り出すのだ。

一度凄い人のレッテルを貼られれば、人生がうまくいっている人の仲間に入りやすくなる。なぜか一目置かれたり、チヤホヤされり、言動に重みが増す。イージーモードの人生の始まりだ。

男は、それを「運」だと思ってきた。自分には運が無かったと思えば少しは自分自身を納得させられる。

男の中では、有名人なんかは「ずるい」方法もしくは「運」によって、イージーモードの人生が送れているだけなんじゃないかと思ってしまっている。この本を読む前までは。

「ずるさ」のモノサシは男の中では絵本の主人公くらい厳格だ。だからずるい方法を採用することで心が病んでしまう可能性がある。となると「運」に頼るしかないのかと思いきや、それが「運」ではなく「勘違いさせる力」を身につければ良いと書いてあるのだ。

「勘違いさせる力」というネーミングは男には性に合わなかった。それこそずるいと感じるワードだ。周りにはバレない絶妙なバランスのずるさだと思う。

しかしよくよく読むと、一度でも実績を作ってしまえばいいとのことだ。それが難しいのだけど、そこまでクリアすればあとはその実績をうまくアピールしまくれば良い。うまくアピールも男には苦手だし、それもこずるさを感じてしまう。面倒な男なのだ。

今の時代、声を上げるのはインターネットを使ったりすることで比較的敷居は下がってきている。あとは今まで小さな実績を言葉に乗せて、アピールに変えるだけだ。

「勘違いさせる力」は確かに存在するかもしれない。そういった認知バイアス効果があることが知れただけでも男は良かったと思う。時々思い出して、アイツは勘違いさせる力でのし上がったんだと溜飲を下げることはできると思う。自分自身が使えるかどうかはわからない。

そして、男は、いつかその小さな実力で評価されたいとも思ってしまうのだ。絵本の主人公のように。

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