デフォルトの思考

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思考には偏りがあると思われる。

例えばひとつの軸として、

  • ポジティブ思考に偏っている人
  • ネガティブ思考に偏っている人

があげられる。

そしてその偏りは、遺伝なのか、神様からのギフトなのか、自分では知らないところで決まっているような気がする。

別の軸として良い思考へ偏り、悪い思考への偏りというのもあるが、これを生まれたときから決まっているとしたのが性善説、性悪説なのかもしれない。

そして両方の説が同じことを言っている部分もある。

  • 努力をして良い人間でありつづけなさい(性善説)
  • 努力をして良い人間になりなさい(性悪説)

つまり、思考は変えることができると信じていること。少なくても表面上は。

例えば子供の頃は影響を受けやすい。親の影響だったり環境によるものだったり。何も知らない子供には親の思考や自分の体験した言動が世界のすべてだと思い込み、生まれたときの性善/性悪にかかわらず、思考がどちらか偏ってしまう。これは思考は変えられるという例だと思う。

ここでは、自我がまだ芽生えていない子供の頃までに決まってしまった思考の偏りをデフォルトの偏りと呼ぶ。一応、自分では選ぶことのできない思考の偏りという意味で。

このデフォルトの偏りが選べるとしたら、どちらを選ぶだろうか。

  • ポジティブ思考
  • ネガティブ思考

誘導的な言葉になっているので、

  • 革新的な思考
  • 保守的な思考

でもよいかもしれない。さて、どちらを選択しましょうか。

なぜこんなことを考えてしまったか。

思考は変えられると記述してみたけど、大人になった自分にはもう変えられないのかも知れないと思ったからだ。影響を受けやすい子供は変えることができる。でも自我が固まってしまった大人はどうなんだろうと思ったことから。

さらに言ってしまうと、自分は以前になんだか鬱々としていた日々があり、その日々からいつのまにか抜け出すことができていた、その過程を備忘録として残したかったからだ。(少し大げさに書いちゃったけど、病気とかそんなんでもなかった)

思考は本当に変えられるのか

自分で選択できるならば、デフォルトの偏りがネガティブ思考でありたいという人はそんなにいないはず。

でも実際は選択できない。デフォルトは決まっている。

じゃあデフォルトはしょうがないとして今からそれを変えようよ、形のないものなんだから、物理的な障壁はないはずだろう?(性善説でも性悪説でも”努力をすれば”良くなると言っているし)

「では今日からポジティブ思考で行きます。」

しかし、子供であれ大人であれ意識して思考を変えようと思うとなかなかうまくいかない。そしてデフォルトの偏りを嘆く。自分ではどうしようもないところで決まってしまったことに対してと、変えることのできなかった思考について。

そう、これがネガティブ思考の正体なんだと思う。

自分ではどうしようもないと決めた、その思考が。

結果としてうまくいかない現実を突きつけられると、偏りがより一層ネガティブ側へと落ちていくという負の連鎖もおこってしまう。では思考を変えようとチャレンジすること自体もリスクとなりえる。

しかしネガティブにかなり偏ってしまった今のままではずっと鬱々とした毎日になってしまう。

そんな時に考えた事。

もしもネガティブ思考から抜け出したいときに、「やっぱり駄目だ」という風に思った時点で負けだ。

「やっぱり」っていうのは予想通りってことだけど、その予想がそもそもネガティブだった。

表面上は「俺はナポレオン、不可能なんてないんだぜ。大人だからすこしブレーキをかけているけれど、本当の本気をだしちゃったら、すごいんだぜ。」という風に演じてみる。つまりポジティブな人になりきって考えてみる。

ポジティブな人になりきってみたら、常に予想は、成功するはず。成功のイメージがあれば、案外うまくいくはず。

でもこれは理想論。この考えだけでポジティブ側にふれるわけでもない。

結局のところ肩の力を抜くというのが一番いい。今の日本に生きていれば、どんな失敗をしようが死にはしない。失敗してもみんないつかは忘れる。そんな風に思えるときがいつかくる。

つまり、ネガティブ思考のなかで、いろいろもがいてみて、さらに落ち込んでみたり、ポジティブなふりをしてみたりしてみたけど、結局のところ時間が解決してくれたのかなあということ。(もちろん努力してみたことが無駄なんじゃなくて、その努力の結果かもしれないけど、即効性があるわけではなかったということが言いたいです)

思考は変える事は難しい。けれども、いつのまにか変わっている事もある。というのが自分のなかの結論です。

ニュートラル

子供には親のせいでの偏りをつくりたくはない。ニュートラルであって欲しい。そして自分で偏りを形成して行って欲しい。でも娘は最近なんでもすぐにできないと投げ出すし、できなくてもいいということなってしまう。縄跳びとか鉄棒とか。もしかしてネガティブ思考に偏っている?

親である自分たちの影響や用意した環境によってネガティブに偏ってしまったのであれば、反省しないといけないのかもしれない。ニュートラルに戻すためにも娘の前ではポジティブを演じてみるのはありかもしれない。

いや、それよりも、ポジティブとかネガティブとかじゃなくて、ころころ意見を変える方が好ましくないか。自分もニュートラルで接しよう。

そして最後に、これはあくまで偏りの話なので、ポジティブ思考な人だってつまずいたらへこむってことを覚えておいたほうがいい。逆にいえばネガティブ思考の人だって、人生楽しめるのだ。

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