真実はいつもひとつ、ではない
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内容はタイトルの通りですが、名探偵コナンの決め台詞「真実はいつもひとつ」についてです。
子供とコナンのアニメを観ていて、このセリフを聞いたときに違和感があり、「真実」という言葉をiOSの辞書アプリ「大辞林」で調べてみました。
うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また、そのさま。
やっぱり。嘘偽りのない事も、本当の事も、たくさんある。人によって真実は変わってくるし、それこそ十人十色の真実が存在する。真実は「ひとつ」じゃないんだ。
真実に似たような言葉として、「事実」という言葉あるが、そちらの意味も「大辞林」で調べてみました。
現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
こちらの方がまだ「ひとつ」に近いのかもしれません。「事実は客観的で、真実は主観的」と言われたりもしますが、一つの事実だって違う角度から見れば違う真実が導かれてしまいます。
コナン(新一)も本当はそれをわかっているのか、こんなことを言っています
それが事実だとしても、本当に真実とは限らないだろ
ひとつの事実からも、人によって複数の真実が導かれる。そしてそれは捉え方の問題なので、変えることができるかもしれないし、変えることができないかもしれない。自分の考える真実に、他人をあわせようとする行為は、もしかしたら情報操作にあたるのかもしれません。ちなみに、仕事ができる人や話が上手い人はひとつの事実から、自分の意見を織り交ぜた真実へ、それしか答えがないというように持っていくのが上手いとも言えます。
という事で「真実はいつもひとつ」というセリフが出てくるたびに、娘にはそんな事はないんだよと言い聞かせています。
多数派の意見、少数派の意見、意図的に操作された意見、感情によって脚色された意見、共感できる意見、色々触れた上で、もしくは全く他人の意見に触れない状態で、自分の意見を考えられるといいね、と言っています。ひとつの真実だけを見てしまうと考えが偏ってしまうと思うのです。
※ちなみに、意見はそれぞれの真実について持っている考え、なので真実がより誇張された形になってしまうと思っています
今は情報過多の時代とも言われていますが、いつの間にか偏った情報のみになっていないか、他人から影響されない自分の意見をきちん言えるか、を意識しておくと良いと思います。意見を言えない場合はニュートラルな状態にいるのも大事なことです。
とりあえず、娘には「真実は人によって違う」。誰かが絶対的な悪で、違う人が絶対的な正義という事はほとんどないんだよ、ということを言い聞かせています。
ちなみに、名探偵コナンのストーリーは、犯人が絶対的な悪人ではなく、仕方がなく罪を犯してしまったのだというパターンが多いのは、何か救いようがあって悪くないと思っています。蛇足ですが、娘からは「パパは毎回しつこい」「見た目はおじさん、頭脳はこども」って言われて凹んでます。