睡眠時間
その男は、朝に弱い。
布団から抜け出す時には、かなりの勇気が必要だ。
男の血圧は標準より少し低めだ。年齢的に血圧が高い状態よりは全然良いとは思っているが、低めという事実が男を布団へと閉じ込めている。
眠たいからといってもう一度寝ても、再度起きたときの寝起きは似たようなものだ。たっぷりと睡眠時間がとれたので今日も1日がんばるぞと前向きな気持ちで、スッと自然に目が醒めることは、ない。
一度きちんと目が覚めれば、布団から出るときの気だるさはなくなる。男の場合は、起きて30-40分くらい経てば、頭が少し前向きに切り替わる。逆に言えば、不快な目覚ましが鳴って30-40分の間はまだ二度寝の危険と必死で戦っているのだ。
その男の場合、せっかく覚めたとしても、通勤電車で座れてしまいうっかり寝てしまうと、また寝起きの辛さと戦うことになったりもするのだ。
だが、早起きも悪いことばかりではない。
朝日が昇る前に電車に乗るというのが、男の自尊心をくすぐっていた。事実とは異なるけれど、自分は仕事を頑張っている、と思い込ませることができた。白い息を吐きながらホームで電車を待つ自分、悴んだ手で週末に撮った写真をスマホで見返している自分、何一つ結果には繋がっていないけど、自己陶酔できた。
しかし、季節が春に変わり、日の出時間がどんどん早くなると、家を出る頃には太陽がもう決して低くない位置にあり、心なしか街を行き交う人々も増えたようだ。これでは男(だけ)が頑張っていると思い込めない。
会社についても、朝残業が推奨されるようになって、早めに出社している人も増えた。会社から少し遠い場所に住んでいる男は、通勤時間もそれなりにかかる為、起床時間の割に会社に着く時間は遅いので頑張っている感が出しずらい。
それでも朝は、布団から抜け出して30-40分経ってしまえば、快調だ。ピリッとした空気のせいか、頭もクリアな感じがする。一番頭の回転が早い時間帯だ。しかし1日のうち一番クリアな時間が通勤時間というのは、もったいない。
その男は、夜も弱い。
朝が早いせいなのかも知れないが、夜残業をすると目がしぱしぱしてしまうことが多い。家に帰ると、読書をしたり、運動したり、調べごとをしたり、勉強をしたりしたいのに、何もできないまま寝てしまう。
家族が寝静まった後の静寂はとても貴重なはずなのだが、少しでも眠気がくると、睡眠時間が足りないことを過剰に恐れて布団へ直行してしまうのだ。
朝は早起きをするとなんとなく素晴らしい感じがあるが、夜は夜更かししても何もインセンティブがない。朝と違って夜更かししても綺麗な朝日が見えたりはしないのだ。本当に徹夜をしてしまったときの朝日は綺麗というよりも、光が眩しいとか感じない。夜更かしのインセンティブはせいぜい睡眠時間が短いアピールくらいだ。
夜は季節の移り変わりがほとんどないのもつまらない。だから、早く寝るのだ。そもそも早寝早起きは悪くないはずだ。
そうして、寝る時間はどんどんと早まり、男の睡眠時間は十二分に確保されるのであった。それでも朝は辛いのであるが。
睡眠時間は短いと、次の日の仕事に差し支えあると心は落ち着かない。睡眠時間が確保されても、勉強や運動ができないと思ってしまう為、心は落ち着かない。適正な睡眠時間を知りたいとも思うのだが、そもそも平均睡眠時間というのも意味があるのかわからない。
睡眠時間が長短にかかわらず、男の心は常に落ち着けないのであった。