自転車少年のはじまり

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初めての自転車旅はたしか、高校3年のときだろうか?

いやもうすこしまえ、むしろ小学校のときだろう。
それは旅とはいわないのかもしれない。何の事はない、二つ駅の離れたのおじいちゃんの家に一人でいった事だ。
みんな驚いた顔をしてくれた。それがきっと始まり。
小学校の頃は太っていた。
もちろん運動神経ゼロだ。中学で部活に入り体力がついた。うれしかった。
そして高校への通学は微妙に遠かった。電車で1時間半、でも自転車なら1時間なのだ。
結局電車で通ったのは高校一年の一学期だけ。
初めて自転車で高校にいった日、快晴だった。
二時間前に家を出ると普段と違う世界が広がっていた。
なんか自由だなと感じたのを覚えている。三人もの交通整理のおばちゃんにおはようをいえた。
クラスのみんなもびっくりしていたっけ。
そんなこんなで結局三年間。
その通学途中、ドロップハンドルのチャリンコが捨ててあって、それが僕を自転車旅行へと引きずり込む第一歩だった。
僕は一年二年の頃はママちゃりで通学していた。
それしか自転車を知らなかったのだ。
マウンテンバイクは高いというイメージがあったので買う気は全然なかった。
そんな時に見つけた捨ててあるチャリンコ。
1ヶ月間見張っていたが誰も乗っている様子はない。
思い切ってその家の人に使ってないのなら譲っていただけませんかというと快く譲ってくれた!
いってみるものである。
しかし、その自転車はすぐに乗れる代物ではなかった。
まずはタイヤ交換、変速機がおかしい、ブレーキが利かない。
たまたま友達に自転車に詳しいやつがいて、受験前だというのに二人して1から組んで行った。
その時使えないパーツがたくさんあって、いろいろ買い換えた。
ドロップハンドルもついでに乗りやすいバーハンドルに変えてしまった。
そしてできた自転車、友達がいった「世界で一台しかない自転車」、その言葉にくらっときた。
さっそくそいつと、アトアウドア仲間のもうひとりとサイクリングに出た。
初めての遠出、初めての峠、正丸峠の上り坂はなかなかきつい、
しかし頂上でのコンビニ弁当がそれ以上においしかった。
アウトドア仲間の彼とはよく山にハイキングにいっていた。
だからいろいろキャンプ用品を持っていた。いろいろ無謀な事もできた。体力もまああるほうだと思う。
だから旅というものにはまってしまった。
リュックに地図とバーナーとコッフェルを入れていろいろ飛び回った。
それらさえあれば生きていけると本気で確信した。
・・・そして浪人になった。
アルバイトを始めた。
特に使い道は考えてなかったが、自転車を組んだ友達から、
久しぶりにどこかいかないかと誘われ、
ついつい、近所の自転車やさんで45000円の青いロードレーサーを買ってしまった。
青く光るフレームがとても美しかった。
road_ldgr.jpg
当時はタイヤは赤なんてグロテスクな色ではなかった・・・
それに荷物を載せられるようにキャリアをつけて、
二人で家を出た。
初めての雨。初めての野宿。だが浪人中というのも手伝ってかあんまり楽しくはなかった。
ごめんな、相棒。
でも相変わらず一人でふらっとサイクリング出る事は多かった。
浪人という時間をめいっぱい楽しんでいたように思う。
特に入間川、多摩川などは良く出かけて行った。土手で勉強した事もあった。
tamagawa.jpg
多摩川を下っていったら羽田空港近くに。
しかしこの頃から、組んだ自転車が壊れてきて、レーサーばかり乗るようになった。
そのスピードが気持ちよかった。
そして春がきて、アウトドア仲間はアメリカに留学していたがたまたま帰ってきたので、
二人で埼玉から多摩川を経て海までいってきた。
サイクリングロードという不思議なほど明るい道が気に入った。
大学一年生となった僕はサイクリング部にはいった。
サイクリング部ではランドナーというMTBとレーサーの間の、いわば旅専用の自転車を使っていた。
僕は壊れてしまった自転車のパーツだけでも生かそうとフレームだけ購入した。
今度はほとんど自分で組んだ自転車。もちろんバーハンドルを持っていたのでそれを使う。
パーツも「見た目」で選んで、本当に自分好みのオリジナル自転車が完成。
chari_atsuron.gif
こいつと日本縦断をしてきました!ATSURONのロゴ入り!
1997年夏。
初めてのサイクリング部の信州合宿だったがこれが結構きつい。
信州は山が多く、アップダウンにとんだ道を部活の先輩や仲間の五人で進んだ。
合宿の前日は長期旅行の前に起こりがちな、
遠くへいきたくないホームシックのような気持ちが少しあった。
でも当日の朝、実家を朝早く出るとそんな気持ちは忘れていた。
とりあえず実家から大宮駅まで1時間程走って自転車をばらす。
そして自転車を袋に詰めて電車に載せてそこから青春18切符で長野駅まで。
初日は観光ということで善光寺(蕎麦を食べるのがメイン)やオリンピック会場を見て、
この日は先輩の家に泊まる。しかも焼肉をごちそうになる。
すばらしい、これが合宿か!
翌日そこからスタートしてめちゃくちゃ急な上り坂の七曲がりを経て戸隠忍者村に。
童心に返って遊ぶ。いついっても男の子なら楽しめる。
そして野尻湖でテントを張って泊まり、上越へ。海で少し海水浴をする、
けどあんまりきれいじゃないなあ。晴れていなかったからかな。
実はこの後に高速道路を車で走っているときこのあたりを通ったのだが、
夕焼けがきれいでひどく懐かしい気分になった。
そして日本海を右手に糸魚川まで走ってそこから南下。
途中で他のサイクリング部の部員に会う。知らない土地で知ってる仲間と会うととってもうれしい。
くびき大野という駅で始めて駅寝をするが、すごくいい駅だった。
満天の星がとてもきれいで、ああ家からずいぶんはなれているんだなと感じた。
缶ビールも質よりの量の料理もサイコーにうまい。
√148を下って少しいくと平岩という駅の前から県道505が出ているのだが
この道は今までの僕のサイクリング経験の中でも一、二番を争うほどきつかった。
さすがは信州!一人、とても体力があり速い先輩がいて、
負けるものかと必死で漕いだっけ。
当時はまったく歯が立たなかった。そんな先輩を憧れた。
頂上の蓮華温泉に入ったときの喜び、
ざーざーぶりの雨に降られて恐かった下り坂、
今となってはいい思い出だ。雨の中、頂上のキャンプ場にとまる。
次の日さらに国道を下り、小谷をとおり青木湖キャンプ場に。
大町、堀金を経て、黒沢キャンプ場にとまる。
そしてアルプスサラダ街道を経て野麦街道へ。
そして上高地へ向かう。そしてやはり上り坂ばかりで自転車にはきつい釜トンネル。
はじめてとまった快適なバンガロー。上高地は曇っていたが、また一つ自慢が増えた気がした。
次も自転車で来るからな。
合宿も終盤に近づいて、ゴールの諏訪湖を目指す。
上高地を下りて白骨温泉を経て乗鞍高原一ノ瀬キャンプ場へ。
そこにはOBの方々がいて、おいしいシチューをごちそうしてくれた。
オートキャンプもなかなかいいものだ。
こんなパパになろう。
そして次の日乗鞍の車道日本最高地点まで自転車で一気に駆け上った。
やはり先輩には遅れをとった。
疲れたが満足して下った。
そしてそのまま松本へ。松本城の近くの公園で、合宿最後の夜を焼き肉で飾った。
一人あたりお肉の消費量は1キロを超えていた。
五人はかなり打ち解けていて合宿が終わるのが寂しかった。
そして諏訪湖までいってゴール。ここでみんなとはお別れ。
部員全員が集まり、宴会!
僕はちょっと自信がついた気がしたので、
ここから独りで埼玉の家まで帰ろうと決意した。
朝早く出発すると、なんだか一人は気が楽だなあと思ったがすぐにさみしくなった。
すると違う班にいた先輩が追いついてきて、
八王子まで一緒にいく事になった。二人はなかなか快適だった。
√20は走りやすくなかったが、いいペースを保てた。
この分だと今日中に家に着くかもと思い始めるとなおさら飛ばした。
ほとんど先輩が前を引いてくれていたのだが。
(自転車は前に人がいたほうが風除けになって断然楽なんです)
相模湖で横浜へいくという先輩と別れるといよいよ日は暮れさみしくなってきた。
その先輩がおごってやれないからせめていいもんくえよと千円くれ、
ありがたくコンビニでお弁当を食べた。うまい。
完全に日は落ち、一人で超えた大垂水峠。夜の五日市海道。
結局家に着いたのは11時過ぎだった。
府中街道から所沢へぬけるときについに知っている場所について、
涙が出るほど安堵した。
正直言ってはじめはこんなに面白いものだとは思わなかった。
先輩にも(走りで)余裕で勝てるだろうと思っていた。
奥が深いぞ、サイクリングも!
夜テントの中で先輩方は日記を書いていたが、僕もそうすればよかったな。
結構忘れていることが多い気もする。
やはり一番いいのは同じ釜の飯を食うということかな。共同作業は仲良くなるね。
食器洗いや洗濯、お風呂はたいへんだったけど。
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つづく

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