自転車日本縦断日誌
自転車で日本を縦断したときのメモを記す。
1998年春、いざ九州へ。
今思えば日本縦断への大いなる一歩を踏み出したきっかけ。
サイクリング部の次の合宿は海を越えた九州だった。
もちろん現地集合だったので、僕と、部の友達二人の3人で、
埼玉から走る事にした。
まだ夜明け前に家を出て、
一時間も走ると太陽が顔を出し、いつのまにか見知らぬ土地にいた。
このわくわくする感じがたまらない。
八王子まで下ると後は平塚までずっと国道。
午前中、まだまだ快調に飛ばす若いおれたち。
国道一号に沿って小田原まで。箱根は旧東海道を選んだら、さすがに上りが厳しかった。
途中、一度だけ自転車を降りて押していたら、
おばちゃんたちの声援を受け、すぐに自転車にまたがった。
ひぃひぃいいながら頂上につくとまだ二月の半ばだったので寒い。
コンビニでおべんとを買ってすぐ食べてすぐ下った。
下りはスピードで風を切るし、ほとんど漕がないので余計に寒い。
そして蒲原(駅の前の農協で野宿)で一日目を大量のスパゲッティで締めくくる。
まだ興奮の冷めない僕らはテントの中で遅くまで語り合った。
走りづらい√1にも段々慣れ、ペースをつかんだ僕たちは、
サッカーで有名な都市を抜け浜松へ、途中、焼津の手前は√150をとおったのだが、
海の上の道で、気持ちいいけど落っこちそうで恐ろしかった。
弁天島でうなぎを食べるゆとりがなかったのでタイヤキを食べるがとてもおいしかった。
そして日も暮れてきたので、豊橋で野宿。
もちろん夜はビールで乾杯。
実は僕、あんまりお酒は強くはないのだが。
でもいい!
次の日は朝から雨なのでペダルが重たい。
しかもこれまで地図を確かめたり先頭を引いてくれた、
3人の中でリーダー格だった一人がひざを壊してしまった。
これ以上走りつづけるとこの後の合宿が走れなくなってしまうので泣く泣く彼は電車に乗り込んだ。
僕も泣きたいぐらいさみしかった。
この時に救急車を呼んでくれたりやさしくしてくれた明るい豊橋のおじさん、
ありがとう!
二人となった僕らはその日、
とりあえず名古屋に泊まることに。
普通の児童公園で野宿したのだが、
夜中ずっと誰かしらテントを覗きにきていた気がする(おばけじゃないよね?)。
次の日は京都を目指した。関ケ原を経て、さざなみ街道をとおって、
大津、京都へ。初めてみた琵琶湖はやはり海を間違えるほど広い。
雨が時折ふっていたが、琵琶湖沿いの道はなかなか気持ちよかった。
そしてこの日はリタイヤした彼が京都東山ユースホステルにとまっているといったので、
僕らもユースへ。
初めてのユースはとても親切でたのしかったが
長く雨の中走ったためすぐに寝てしまった。
この日は大学受験の人でいっぱいだったらしい。
また彼と別れると√171をとおって、高槻西ノ宮へ。
ここで、念願の√2に入る。神戸の前をとおったとき、
結構復興してるなと思ったけど見た目だけなのかな。
ちょうど神戸をぬけるとき、ペダルで足を怪我してしまった。
実はこれ、雨でもうびしょびしょ靴を履きたくなくて
途中で学校で使う「上履き」を購入したのだが、
サイズが小さくかかとを踏んづけていたので、かかとをペダルですりむいたのだ。
上履きは踏んづけてはいけません、はい。
薬局へ入り消毒液を買うとき、埼玉からきたというとかなりちやほやされた。
こういうのって本当にうれしい。
血はいっぱいでたけど、幸いにもいたくはなかったので先へすすむ事に。
ひたすら√2を西へ西へ。
明石、姫路で泊まり、備前、岡山、倉敷、金光で泊まる。
正直この辺はひたすら走りまくっていたのでこれといった場所にいっていない。
コンビニが新装開店していて、裏におにぎりがどっさり捨ててあったのをこっそりかばんに詰めまくったぐらいかな?
金光は宗教が前面に出ていて勧誘されそうないきおいだった。
福山、尾道、広島、大野町でとまり、徳山、防府、下関。
各地で、お好み焼きなど名産(食べ物しか興味なし!?)を漁る。
雨も次第に少なくなっていた。
アップダウンが海沿いということで結構あったので僕としては変化に富んでうれしかったが、
相棒は結構疲れていた。
自分のペースで走れたらと思うことが多くなったがこれは相手に失礼だなと思った。
そして九州へは自転車のまま行けるトンネルで。
これは自転車は20円を払って入るのだけど、海の下をくぐるっていうのがすばらしい。
九州へついたときはうれしくって、何枚も写真を撮った。
そして√10を使い今度は南へ。
中津あたりで日は暮れ、宇佐についた。
ここで、仲間と別れると、一人で別府を目指し夜の豊前街道へと走り出した。
夜おそくに一人で走るのは始めて。
車通りの少ない道は恐くもあり悲しくもあった。
峠らしきところで一休みしたが暗くてすぐに恐くなり、
やっぱ相棒は大事だと思った。
そして別府駅に到着するが、今度は逆に人が多く寝れそうにない、
仕方がなく一つ手前の別府大学前駅まで戻るがここもだめ。
別府大学にいったが私立のようでここもだめ、
泣く泣くもう一つ前の亀川にいくと何とか駅寝できそうだ。
ちなみにこのときはテントを持っていなかったのだ。
やっとの事でシェラフに入ったが、警官がやってきて、職務質問。
埼玉から自転車で来ましたというといきなり親切にされてうれしかった。
次の日は別府を一人で温泉巡り。共同だからかとっても安い温泉に何度も入り、
ついには砂風呂にまで入ったがとっても気持ちよかった。
この日の夜に僕たちの班員が別府につくはずである。
いつもとは違う場所で会えるとなんかうれしい。途中でリタイヤした彼もここで合流。
みんなで団結式という事でうなぎ(400円!?)を食べる。
みんながいれば人の目なんて恐くはなく別府駅でも寝れた。
次の日ついに合宿スタート。
と思ったらやはりひざが痛むという事で例の彼はリタイヤ。
かわいそうだったな。いっしょに走りたかったな。
4人となった僕たちは由布院を目指して上り始める。
この班の人たちは走るペースが速く気持ちいい。
でもなかなかきつい坂だった。
ちなみに怪我した彼がいなくなったので一年生(下っ端)が僕だけになり常に先頭をひいた。
水分峠、やまなみハイウェイ、牧戸峠を経て、瀬の本ユースに。
ここに雪のため連泊して卓球を楽しむ。
合宿らしくないがこれも楽しく飽きない。
先輩がかくし芸のごとくピアノを弾いてくれて尊敬した。
次の日は良く晴れて、大観峰。すばらしいね、はい。
そして阿蘇山まで一気に駆け上る。
春先の阿蘇はまだ雪が残っていた。
坂道を自転車に一杯荷物をくくりつけたまま上るというのはめずらしいらしく、
観光バスからたくさん声援を受けた。
修学旅行中の女子高生の乗ったバスと追いかけっこをしながら頂上につくとちょうどガスが晴れて火口まで見れた。
この日はとまるところが見つからなく高千穂の総合公園で野宿する。
ご飯を作る元気もなく寝てしまった。
朝、昨日の夕飯にと買っておいたお肉や野菜をいためていると、
たまたま他の班の人に会って笑われた。
確かに朝っぱらから野菜炒め大盛りは重いぜ!
そして高千穂峡の美しい渓谷を見て延岡へ。
また√10に戻ってひたすら南に下る。
日向市の海に近い公園にとまる。
次の日は宮崎の巨人軍の練習していた球場にとまり、雨の中、青島に。
日南フェニックスロードに沿って都井岬に。
野生の馬は自転車が珍しいのか近くによってきた。
僕の自転車にくくりつけていたおやつの食パンを取られた!
この日は福島今町で駅寝。
近くのスーパーがちょうど閉店だったので半額品をたくさん買い込む。
夜中にレディースと思われる人がきて、
「火ぃありますか?」ときかれたときには生きた心地がしなかった。
だって地元の人がここの駅はシンナーやっている人が時々くるから気をつけろよなんていうんだもの。
次の日、志布志、鹿屋をとおり√269へ。
途中で先輩の自転車が目かトラブルに陥る。
ちょっと時間をロスしたが、そこはさすがにみんな速い班、
協力してかなりのペースを保ちつつ一気に佐多町までいき佐多岬手前の駐車場で就寝。
かなりのハイペースにさすがに疲れた。
ここではスパゲティを食べたのだが、これは旅にはぴったりのお食事だ。
作るの簡単(ミートソースの缶詰)、おなかにたまるし、普通においしい、結構安い。
次の日、早起きをして南へ南へ。
こっそりゲートを抜け、夜明けを「本州最南端」の佐多岬で。
かなり感動。日ごろの行いか、曇っていたが太陽がちょうど顔をだした。
そしてこの時から日本最北端、宗谷岬を意識するようになった。
何はともあれ、ここまで自転車だけで来れた。
すごいぜ、そしてありがとう。
とりあえず埼玉~佐多岬をつないだのでここからは楽をしてやろうと、
根占まで戻りついに自転車以外の乗り物、フェリーに乗る。
山川につくとまた砂むし温泉へ。西大山駅で美しい開聞岳を眺めながら落書きノートを書いた。
いつか日本最南端駅、西大山にいくことがあったらチェックしてくださいね、落書きノート。
今度は最北端の稚内駅にいってノートを書くぞ!
後ろに見えるのが開聞岳。西大山駅から。
開聞岳近くのキャンプ場で合宿最後の夜をもちろん焼き肉で飾る。
かなり調子にのってぐでんぐでんに。やはり焼肉はとんでもない量を食べた。
合宿はそれでも太らないからすごい運動量なんだな。胃はかなりでかくなった自信はあるけど。
なんせ毎食米一合以上は食べるもんね、絶対。
朝、昨晩飲んだときに落とした眼鏡を皆様に探してもらった後に出発。
イッシーで有名な池田湖を過ぎるとゴールの鹿児島はすぐそこ。
うなぎが食べたかったが、流しそうめんに惹かれてみんなで壮絶なバトルに。
そして久しぶりの都会、鹿児島市に心躍らす4人。ここでとりあえず合宿は終了。
その晩は部活の打ち上げでやはり羽目をはずす。
生まれて始めて記憶をなくす。
パンツだけになっていたとか・・・。女の先輩もいたのに。
今回はさすがに疲れて電車で帰る事に。お金の節約のため18切符で帰る事にするが、
1日目は岡山でストップ。九州を離れるときはせつなかった。
そして電車は東京へ。なんかとおった事ある道の横を電車が走るとうれしくてたまらない。
埼玉の我が町は相変わらず変わっていない。そこがまたうれしくもあった。
今回は一人でという思いが芽生えた旅。
もちろんみんなでというのはとても楽しいが、何から何まで一人というのはかっこいいでしょ?
というわけで次は一人でがんばりますよ!
実は記憶をなくしたときに朝起きるとすでに電車の中に。
どうやって自転車を分解して袋に詰めたのだろう?
途中電車の中でで小さい子にその大きな荷物、マグロですかときかれた・・・。
旅と道は何処までも続いている。
そして同じ1998年の夏。
ついに北海道に旅立つ事に。
今度のサイクリング部の合宿は北海道で僕はもちろん宗谷岬にいく班を選んだ。
まず現地集合の班に合流する前に埼玉は大井町から一人で出発。
荷物になるし、√4でいけば迷うことはなく北海道までいけると思って東北の地図は持っていかなかった。
自転車だから人に尋ねながらいけばいいし。
出発を母が見送ってくれたがなぜだか小さく見えた。
大宮をぬけたころ夜が明けるが、雲行きが怪しい。
神社でラジオ体操をやっていたのでこっそり参加する。
もう心は恥知らずのあほあほだ。
春日部で√4に入るとついに雨が降ってきた。
これも日ごろの行いって奴だ。
しかし国分寺、小金井駅という東京みたいな地名を過ぎるころには雨も止んできた。
お昼に宇都宮で餃子を食べようとしたが、店が見つからなく、
結局コンビニで。だがいいペースだ。だんだん晴れ間も覗き、快調に飛ばす。
黒磯すぎで早くもさみしくがりやが顔を出したが、白河までいくと栄えていて安心した。
ちなみにこの頃はあまりに寂しくて「黒磯の歌」を作詞作曲して歌っていた。
もうおぼえていないのが残念だ。心に響くバラードだったのに。
そして郡山につくころはすっかり夜中で、なぜか昼間より快調に走っている気がした。
しかしすぐに交通量の多いバイパスとまた雨に悩まされた。
真夜中に福島につくとさすがに疲れてここで寝る事に。
だがしかし駅は有人だ。公園も屋根が無い!
しかたがないのでハローマックというおもちゃやさんの軒下で、仮眠を取る。
このおもちゃ屋さんは「ロ」が小さく書いてあって、
どうみても「パーマック」だよ。
・・・本日は275キロ走った!
ここでいつも旅に使っているちゃりんこを紹介!
そしてまた日がでないうちに出発する。
ひたすら√4を北上する。桃が道端で売っている。・・・僕は貧乏旅行ですから。
朝も食べないで走っていたのでつかれやすい。(ご飯を抜くほどは貧乏じゃないけど)。
車屋さんの前で疲れて休んでいると出社してきた従業員の方がテントの中で寝なよ
と展示用のアウトドアセットを指差してくれたが、丁寧に断る。
これから走る距離を考えると・・・。
でもすごくうれしい、ありがとうございます。
二日目にしてもう疲れた旅人の風貌を手に入れているようだ。
朝ご飯を探して、仙台までいけばという事で頑張るが、
√4と仙台駅は微妙に離れていて、行くのが大変だった。
看板に仙台駅って表示があってから30分は走った。
地図の必要性が身にしみる。ここで吉牛(大盛卵)を食べ、
ついに地図も買うと、今度からは地図を見て√4だけでなく
県道などショートカットを使いながら北を目指す。
朝まで霧雨だったが良く晴れてきて、かなり飛ばす。
ここからは街中というより、郊外と行った感じの道がつづく。
古川、一関、水沢をパスして、花巻に。だけどコンビニによる回数も増えてきた。
この時はハンバーガーが半額だったので、マックにより6個も買い込む。
もうあたりは真っ暗だ。またまた一人がさみしくなってきた。
やっとの事で盛岡市に入ると岩手飯岡という駅で寝る事に。
ここではぐっすり眠れて、朝掃除のおばちゃんに起こされる。
まずは二日もお風呂に入ってないので、近くの公園により、
朝シャンをする。気持ちいい~。
そしてまた朝ご飯を探す旅に。
盛岡駅の周りで、お店を探すが見つからなく、
ご飯を食べずに出発。どんどんお店が少なくなってきた。
・・・埼玉が遠く感じる。
十三本木峠の手前のコンビニでさすがに弁当に飽きてインスタントラーメンをバーナーで作る。
空は気持ちよく晴れていて汗がかっこいい。
快調だ。しかし一戸、二戸は青森県だと思っていたので、まだ岩手なのかとがっかり。
三戸につくころに日が暮れ、十和田についたときにパンクしていた。
なおす元気も無くてとりあえずカレー屋さんに入る。
そういえばお店に入るのは初めてだ。
このカレー屋さんがとても親切で埼玉から自転車できてこれからまだ走るんですというと
普通のカレーを頼んだのにサラダやチーズまでつけてくれた。
ゼリーの凍った物やティッシュまでいただいた!すごく励まされ、元気が出た。
住所を交換して暑中見舞いを出す仲になった。
野辺地を目指して出発するが、この時からまた霧雨が降り始め、
しかも国道だというのに車どおりが少ない。
濃霧で前が見えず恐くてさみしかった。
一人というのはこんなにつらいのか。
霊感なんて無いけど、このときばかりはなんかとても恐かった。
レースでもこんなに速いペースを保てないだろうというスピードで駆け抜ける。
何とか野辺地につくといい感じのバス停を見つけて就寝。
でも恐くてなかなか寝付けなかったな。
・・・明るいところを求めてコンビニに何度も行ったりした。
4日目、この日の11時20分出発の大間~函館を結ぶフェリーがあるので、
ハイスピードでむつはまなすラインを飛ばす。
なんか、まだ見ぬ北海道を思わせる道だ。かっこいい。5時間で、100キロを激走して大間へ。
フェリーの時間のために大間崎に寄れなかったのが残念だ。
北海道にわたるためには船か電車か飛行機を使わなければならない。
自転車がとおれる道があったらなあ。
フェリーに揺られて函館につくと部員の一人と合流して函館駅の周りで寿司を食べる。
さすがあこがれの北海道という感じだ!
二人で√5に沿って少しすすみ、赤井川で駅寝。
実はこの駅の入り口がわからなくて線路の上をスタンドバイミーのように自転車を押して歩いていたその時、
電車が走ってきて死ぬかと思った。
一杯お酒を引っ掛けて、いい感じに寝るが、寝坊。
次の日、長万部を経て蘭越へ。昆布で駅寝。
一人に比べるとペースが落ち、楽しいが少々物足りない。
ひたすら√5に沿って稲穂峠、仁木、小樽へ。
ここから今回の合宿がスタートする。
小樽駅に班員5人と他の班員2人が終結するとビールで乾杯、
次の日札幌にむかい出発。途中、新規開店前のサンクスによると中に入れてくれて記念撮影までした。
札幌につき時計台でがっかりすると五人となった僕たちは北に向かって走り出した。
√275沿いの中小屋温泉に入り、すぐ近くの本中小屋で駅寝。
五人もいると恐くない。お酒もおいしい。
√12の長い直線を少し走り、滝川、雨竜へ。
留萌に行くのに道道94を使い、班員同士でレースをする。
この日は望洋台キャンプ場にとまる。
次の日は切り平、切り立ち、美深の三つの峠を経て、√40沿いの恩根内駅へ。
峠では必ずレースがお決まりになってきた。
次の日は朝から激走して北へ。
サロベツ原野の中をとおっていたはずだがいまいち良く分からなかった。
しかし北海道は広々としていて気持ちがいい。
自然もいっぱいだ。予定より早く稚内つくと、
前から調子の悪かった部品「クランク」を自転車屋に直してもらう、が結構高くついた。
そして野寒布岬で夕日を見ると最北端駅稚内で写真を取りまくる。
いよいよだなと宗谷岬に期待がかかる。この日は稚内ドームで寝る。
朝ドキドキしながらペダルを漕ぐ。そしてついに宗谷岬に。
ついにここまできたんだなあ。僕の中で一気に日本が小さくなった気がした。
すべての道は帰るべき僕の家につながっている。こわがることはない。自転車だからといって。
そう、ここで僕の自転車日本縦断が完成したのだ。
なんだかみんなに感謝したい気分になった。
・・・そして√238を少し外れまだできていない林道へ。
山の中の砂利道で熊が出そうで恐かった。
これもこの班ならではの素敵な冒険。
終わってみるとだけどね、本当に熊にはビビっていた。
再び√238に戻ると夕日がきれいだとうクッチャロ湖へ。
夕日に間に合わせるために1時間で30キロも走った。
レースのせいかみんな速くなっている。
さすがに夕日はきれいだった。ほんとうに・・・。
そしてこの日はそこのキャンプ場に。
次の日はみんなで200キロ走ろうと決めて早起きをする。
日ノ出岬に立ち寄ったりしたが何とかサロマ湖につく。
この日は浜佐呂間のバス停にとまる。
朝一番に網走刑務所を見て√39をとおって女満別に。
刑務所は観光地にするにはちょっと・・・という感じだ。
美幌駅で先輩に会って酒代をもらう。
美幌峠を経て、和琴半島キャンプ場に。
和琴温泉は熱かった。そして√243を離れ道道52で摩周湖へ。
一番に頂上に着くと同じく自転車できた女の子がいて、話すと京都大学の人で一人は偉いなあと思った。
しかも美人でした。一着はおいしい。
そして地平線が見えると聞く中標津の開陽台へ。
はっきりとは地平線が見えなくて残念だ。
晴れてほしい、明日こそは。このキャンプ場にとまる。
道道8、√243と使い厚床へ。ここから√44を使い東へ。
向かい風が強く、なかなかすすまない。
根室で休憩を取り、道道35で野沙布岬へ。日本最東端はあまりぱっとしなかった。
東根室の最東端駅も寂れていた。
雨のせいかな。・・・ちょっとがっかりかも。
また根室駅に戻るととまるところを探してさまよう。
ついにサティの軒下で寝る事に。夏なのに寒い。雨のせいか。
銭湯に入ってもあまりあったまらなかった。
そしてここからはゴールの旭川を目指すことに。
再び√44に戻り、今度は西へ。
厚岸でカキを食べようと思ったが結局サティのお弁当。
そのまま釧路へ。久しぶりの大都会。駅の中に電車を寝るところとして貸してくれるのでそこにとまる。
朝はやっぱり和商市場。
ご飯は自分たちで炊いて行ってネタだけ買った。
そして√38、√240を乗り継いで、阿寒湖へ。
また雨が降ってきた。まりも湯に入り、阿寒湖畔野営場にとまる。
√241に入り、足寄、上士幌、糠平へ。
ここのキャンプ場にとまる。
次の日√273を北上して道内最高の三国峠で最後のレース。
これを勝利で飾り、ついに総合優勝を手にいれた!
大雪湖を経て、層雲峡まで下る。
ここでいったん自転車を降りて、ロープウェイをつかって黒岳をのぼる。
登山は久しぶりなので楽しかった。
そして雨の中、キャンプ場を探して、やっと“ち炉りん村”バンガローを見つける。
合宿最後の夜を焼き肉、ビールで飾る。
そして√39を西へ。上川、愛別、ついに旭川。
長かったた合宿、すばらしい仲間、ありがとう。
ここで、サイクリング部員全員集まって宴会。
僕は次の日、6人の有志とともに√12を経て、ひまわりの里に。
そして行きにもとおった√275をとおって、鶴沼公園キャンプ場に。
この日はひさびさに良く晴れ、満天の星がきれいだった。
そして行きと同じような道で札幌に。向かい風がきつかった。
この日はユースに。しかもビール園に行く。
次の日は札幌を探索して、北広島駅近くの友達の家にみんなで泊まった。
ついに北海道お別れの日、自転車をバラバラにして電車に詰め込む。
もちろん18切符なので、途中函館で下車してまた探索する。
楽しかった北海道、またいつかくるからな。
追伸。
函館で帰りに買った蟹はちっちゃくておいしくなかった。
・・・市場は朝に行きましょう。昼間は売れ残りっぽいぞ。
北海道からでるときはドラえもんの電車で青函トンネルを抜けた。
青森駅で夜がふけて泊まることにするが、お金はかけたくなく、
夜中ずっとぶらぶらしていた。暴走族とかいて恐かった。
次の日は電車移動ばかりでお尻がいたかった。
やることが無くてついつい車内で飲んだりしてしまった。親父?
夜中に川越駅につくと、安堵感が胸に込み上げた。
つづく