たのしい写真とか写真教室という本のタイトルに釣られてみた

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この本で写真のたのしさが伝わるとはあんまり思えない。あくまでゲイジュツに精通しているとか、カメラ/写真をそこそこかじった、そんなよい子のための写真教室なのだ。

なので自分のレベルでこの本を読み込めるかわからないが、僭越ながら感想を述べさせてもらうと、写真の教科書的な部分は確かにある。ただしあくまで歴史の勉強だ。テクニカルな部分はほとんど記載がない。

さらに言えば、非常に読みにくい。いつの年代について語られているのか、誰の文章なのか、写真のキャプションなのか本編なのか、それすら読み返さないと頭に入らない。ブログをそのまま書籍化した感じ。(あとがきによると、「Casa BRUTUS」という雑誌で連載していたものらしい)肝心の写真サンプルだってみにくいレベル。

だけど、なんだろう。この本を読んでもっと写真を撮りたくなった。これが最大にして最高の、読書による効能なのだろう。

写真は真実の写すのか

はじめは写真に含まれるウソについて、語られる。写真は合成できることをなんとなく知っているが、でも初めはそれを本当のものとして認識しようとする。

それは、写真を編集することは悪という風潮がある、と思っている。自分が参加した写真教室でも、「Photoshopとかでオリジナル写真を加工するのは悪いことじゃないけど、それは自分の見たイメージに近づけるためであれば」と教えられた。

でも著者のホンマタカシは、加工しようが何しようが写真は写真。というスタンス。だからこそ写真とは何かと考え続けることになるのだけど。とにかく写真にはウソが含まれることを見る側としても知っておく必要がある。

また、写真の歴史を語る上で、著者は二つのターニングポイントをあげている。

  1. 決定的瞬間
  2. ニューカラー

決定的瞬間は、いわゆる報道写真的な、もしくは刹那的なものを切り取ったもの。
対象を明確にするために、それ以外をぼかしたり、瞬間を撮るためにシャッタースピードをあげたり。つまりは三脚を使わないスナップ的な写真の撮り方だと言える。

ニューカラーは、少し抽象的な、凡庸的な日常の風景をあるがままに写したもの。
対象は風景っぽく全体であり、時間の流れがあるために、被写界深度を深めで、シャッタースピードを遅くする感じ。三脚を使う撮影だと言える。

このポイントを知っているからといって、何が変わるわけでもないような気もするけど、その後にでてくる「ポストモダン」など、もはや自分の言葉では説明できない流れは、この2つから脱却しようとしていてあがいているような気がしてならない。

自分はシャッターを切るときにそこまでいろいろ考えていない。あるがままを撮りたいと思うときが大半だけど、みていて楽しい写真もとりたい。そのためにはどちらかというとテクニックが知りたい。だけど、どんな歴史や意図があってこの撮影手法が生まれたのかを考えるとより一層写真が楽しくなってくるに違いない。 

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