海外旅行を本で体験できるのか(世界を歩いて考えよう!を読んで)
自分はほとんど海外旅行に行かないので、考え方が偏っているかもしれない。
そんな劣等感にも似た思いがあった自分には「世界を歩いて考えよう!」という本書のタイトルにやられて読んでみた。
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この本はブロガーが書いた本で、そのブロガーのちきりんさんは独特の視点を持ち、問題提起が上手な方で、とても人気がある。そんな人の書いた本なので、ちょっと変わった海外を楽しむための(独特だけど言われてみれば当たり前の)考え方が書いてある。何事も理由を自分で想像するのがとても楽しそうなのだ。
本を読んでみて、やっぱり考え方が偏ってしまっている部分はありそうだなと思ってしまった。自分の想像力は陳腐すぎるなあと感じた。インドなどで貧しい人から物乞いにあったという話を聞いて、自分の頭が「累進課税でお金持ちから税金を徴収し、その富を再分配するのは国の役割なのだから、自分個人が施しをする必要がない」「でも当時のインドでは政府がその役割を果たしていないため、お金持ちが直接施しをするのは当然だし、日本から飛行機できた時点でお金持ち層なので施すのは当たり前なのかも」と考えることが果たしてできただろうか。
海外へいくと、日本との比較や、その国の変化(住んでいないので、訪れるたびに変わったところ)がたくさんあり、その違いについての理由を想像することができる。そういった意味で海外はネタが抱負なのだろう。とても楽しいそうな思考トレーニングができそうだ。
本を読んでいて思ったことの一つに、著者ならではの独特な視点について、そんな考え方は経験がないとできないじゃんと羨ましく思う一方、経験さえすれば、もしくは想像さえすれば自分も一端の物書きになれるかなとも思った。
ということで、本エントリーのタイトル「海外旅行を本で体験できるのか」の答え。
想像力を働かせれば疑似体験もできるが、その想像が正しいかどうかを確認したければ、自分で現地にて確証をとらないといけない。なので目的に依る、が答え。当たり前っすね。
想像だけならどこだってできるけど、現地じゃないと体験できないことはとてもたくさんある。そもそも現地に行かないと疑問にすら思わないことだってある。でも、広い地球に暮らしていて、知らないことが多すぎるのに、考えが偏るのは当たり前かなと。海外に行っていないことに引け目を感じるのはやめて、考えが偏っていることを自覚した上で、少しでも想像力を働かして、自分の考え以外も知ろうと思いました。
ちなみに、海外旅行は余裕がないとダメだと思う。時間的余裕だったり、金銭的余裕だったり、心の余裕だったり、人に寄ってゆとりを感じる部分は違うと思うけど、その大事な部分において余裕がないと考えることさえできない。切羽詰まると選択肢がなくなって、考えることや想像することを放棄してしまうからだ。
そんじゃね。