走る理由
走る目的なんて、高尚なものがたくさんある。
健康やダイエットのためというのもある。体力増強といったような自身を成長させるためというのもある。そこに道があるから、まだ見ぬ自分に出会うため、ランニングシューズを買ったから、リフレッシュしたいから。
しかし、本気で走れば走るほど苦しみが続くランニングは、とてもストイックで孤独なスポーツだ。
なんでこんな苦しいことをしているんだろうと、自分自身の弱い部分と向き合い、そして身体や心と対話しながら、なんとか走る習慣を続けている。
もう、走るのは人生なんだと思う。走る理由はともかく、人生が続く限り走り続けて行きたいと思う。
と。
言いたいところではあるが、人間は弱いもので、最近走るのが本当に辛いので、走らない理由を探してしまったりしているのが現状です。ちょっとでも雲行きが怪しかったり、気温が高かったり、膝や腰の調子が悪かったりすると、もう無理です。高尚な走る理由より、楽をできる走らない理由の方が強いのです。歩くのもまた人生。寝たきりだって人生。
走るのが、辛いのはいつからなのだろう。
今までは平均速度は6分/kmを切りながら走るのが、自分にとってのトレーニングを兼ねたランニングでした。
それがだんだんと、6分/kmから7分/kmになってきて、それ以上のペースでは走れなくなってきて、かなり頑張って速く走っているつもりでもデータとして見返すとがっかりするということが続くと、本当に走りたくなくなります。
走っている最中は本当に苦しい。ランニングってこんなに苦しかったっけ?となる。歳のせいなのか、膝や腰のせいなのか、苦しさに弱くなってしまったのか、それら全てなんだろうけど、苦しいと走りたくなくなりランニング頻度が下がって久しぶりに走るとさらに辛くなるという悪循環に陥っているのが現状です。
これは走る目的がよくないからだと思ってきました。
高尚な理由では、モチベーションを保つのは無理なんです。
走ったら、何かご褒美がもらえるとか、達成感が得られるとか、そういうのがいい。(ドラクエウォークはランニングと相性いいのかしら)
そんなことを考えながらも、少しでも新鮮な気持ちで走りたくて今まで走ったことがない道を選んで走っていたら、「こんなところに神社があったんだ」という感じで下ノ氷川神社にお参りしてみたんだけど、お賽銭を持っていなくて、次にくる時は小銭を持ってこようと、目的ができた。
次に来たときに、神社の由来みたいなものを読んだら、近くに上ノ氷川神社、中ノ氷川神社があるらしい。次回、次次回の目的もできた。
もともと、御朱印集めとかが好きな自分。神社参拝を目的に走るのも悪くない気がしてきた。
神社って思っていた以上にたくさんある。志木市には氷川神社が4つもあったし、それ以外にもたくさんある。新座や朝霞、富士見までエリアを広げたらかなりの神社がありそうです。
ご褒美とか達成感というわけではないかもしれないけど、参拝するという目的は厳かな気持ちになれてなんかいい。そして丁度いい休憩にもなる。
最近そもそも硬貨を使うシーンが少ないのでお賽銭用の小銭がすぐなくなってしまうのと、暗い時間(早朝や夜)だと参拝がちょっと怖いのが難点だけど、結構気に入っています。
新しい道を発見できるのもいい。近所はあらかた走り尽くしたぜと思っていたけど、まだまだ知らない道があるものです。新鮮な気持ちで走れると、少しだけ走る苦しさを紛らわせます。
あと、写真を撮るのも地味に楽しい。以下の写真は、上から館氷川神社、下ノ氷川神社、中ノ氷川神社、上ノ氷川神社、という志木市の神社になります。
毎回、「娘の骨折した足が早く治りますように」とお祈りしています。